クリスマスの季節を彩るイルミネーション、これでもかこれでもかと、あふれんばかりの光が美しさを競う季節。
その頃の銀座も、人々のため息と、歓声に溢れていたんだろうか。彼女の印象があまりにも強くて
通りの景色の記憶など何も残っていません。
20代だった私、社会人としての新人時代、職場でも素敵だと思い、憧れるような先輩の女性も沢山いました。
それでもその銀座のバーの女性のようなオーラを感じた人には会ったことがありませんでした。
そのお店がどのくらい高級だったのか、場違いなところに来てしまったという気持ちだけがいっぱいで落ち着かなかった私にはわかりませんでした。
連れて行ってくれた人の社会的地位を思えば相当高級の部類に属したことはまちがいありません。
緊張していた私は、連れの人とそのママの会話を聞くだけで精一杯でした。
今はもう、そういうお店に行くことはほとんどありませんが。。。
そのときのママは今の自分の年と同じ位だったかもしれない、
いったいどういう生き方、生活をすればああいうオーラを発散することができるのだろう。
人生の重みを感じるのに、それでいて、それが全て輝きに変換され、ちょうどいい位の品の良さ、華やかさをかもし出している、表面的なインスタント的な美ではなく、周りの気配さえ変えてしまう美しさ。。。
あらゆる面において「気配りができる、気が利いている、気がつく」。
しぐさ、言動、ふるまい、どれひとつとして無駄がなく、たるんでいない。
はりつめた雰囲気となごやかな雰囲気とを上手にバランスをとっている。
どういう風に言葉を尽くせば彼女の魅力を漏らさず人に伝えられるか、考えるだけでもワクワクするような女性でした。
今になって思えば、ああいう女性とじっくりお話をしてみたかったものだと
ちょっと残念な気もします。
男女を問わず、単なる頭の良さとは違う、「気が利く人」に出会う機会はそれほど多くありません。
イルミネーションの華やかさよりも、満開の桜や、燃えるような紅葉の赤、大きくて丸い控えめな月の光、そんなもののほうがずっと似合いそうな人、そんな銀座のママでした。